<藪本三木市長・三宅理事長対談>

日時:2015年9月1日(火) 
場所:三木市役所 市長応接室

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 9月1日(火)三木市役所にて、藪本三木市長と三宅理事長との対談が開催されました。


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対談風景


市長・理事長対談内容

理事長:
 本日は、お忙しい中、本当にありがとうございました。私ども一般社団法人三木青年会議所(三木JC)は、本年度56周年を迎えさせていただきました。

市 長:
 そうですか。56年になるのですか。

理事長:
 それもひとえに地域の皆様のご協力と、市政の皆様にも様々なご協力をいただいているからこそと、思っております。感謝させていただきます。ありがとうございます。

市 長:
 56年と言ったら、私の年と同い年です。

理事長:
 そうですか。薮本三木市長も常に前向きに市政に取り組まれていると思っておりますので、私たちも前を向いてふるさと三木をより盛り上げていきたいという同じ思いで、本日は有意義なお話をさせていただければと思いますので、よろしくお願い致します。

市 長:よろしくお願い致します。

理事長:
 もうご存知かと思いますが、私ども三木青年会議所の事をちょっとご説明させていただきます。1959年2月11日に日本で155番目の青年会議所として「明るい豊かな社会」の実現、「明るい豊かな三木」を目指して設立をさせていただいている団体です。昨年、皆様のおかげをもちまして、55周年を迎えさせていただいて、地域の皆様にも、そして三木市の皆様にもご協力いただいて、公開例会などさせていただいて、本当にありがとうございました。本年度は、スローガンを「光輝燦然~キラキラ輝く未来の創造~」と掲げさせていただいて運動を展開させていただいております。光輝燦然というのはキラキラ輝くという意味なのですが、人に照らされるというよりは、自らが輝くという意味を持っています。私は地域が元気で活性して輝く為には、やはりそこにいる人が輝く必要があると思いますし、地域のトップである市長さんが、いつも元気で輝く必要があると思います。

市 長:
 この頃、元気ないですけどね。

理事長:
 いつも元気なところは見ています。輝いていらっしゃると思うし、私たちも市民の代表として、常に輝いていないといけないと思っています。人が輝いたら地域が輝くし、地域が元気になると思います。私たちも常に地域の代表として、地域の青年の代表として、輝いていきたいという思いを込めて、このようなスローガンを掲げさせていただいて活動しています。その目的に向かって「修練・奉仕・友情」という三信条を掲げさせていただき、40歳までの時間を自己修練の期間として活動しています。
 私たちの団体が、年齢であったり、性別であったり、職種、様々な部分が全く違うものが入ってくるところに意味があり、いろいろな考えであったりとか、価値観をぶつけ合う中で、意見が高まるっていうように感じます。そして、今まで以上に三木市の皆さんと協力をできたらと考えています。薮本市長には、今の三木市の現状が、市政のリーダーというお立場から、今、どのような感じであるのか、そして改善されたらいいとか、抱えている問題とかというのをお伺いできればと思います。

市 長:
 だいぶ変わってきたと思ってます。三木のまちもですね。それはいい意味でも変わってきたところもあるでしょうし、変えすぎて持つべき良さを失ってしまったものもあったのではないのかと思うところもあります。変わってきたなというのは、市民の方が市政に関心を持ち始めたという印象は強く受けています。私が市長選挙を最初に出た10年前は、そんなに市民の方は、三木市に何を言っても変わらないから、そんなに市政にそんなに関心がないんだ。とう方が非常に多かったという印象を受けておりましたが、市民の方が、自分たちが輝く中で、市を変えていこう。他人事じゃない。自分たちの事としてとらえていこうと、市民が変わりつつあると思っています。
 ただ、今は変革の途中だと思います。 今の状況だけをもって全て悪い状況というわけではないのです、関心を持っていただくのは非常にありがたいが、批評家になり過ぎているきらいが多いのではないかと感じています。公務員の方、市長に、自分たちの関心事だけを突き付け、全体となって三木市がどう動いていくのかという意見がなかなか少ない。市長は批判されて当たり前という中で活動していますが、やはり、「よう頑張っとるな」と言われて、明日の一歩を踏み出せたらと思います。結局は前向いた議論が、市全体として本当にできる状況なのかどうかという事については、インターネットの普及によるネット社会の状況を踏まえ、軌道修正しないといけないと感じています。
 もう一つ、若い方が関心を向けられてない、あるいは向いてこられない状況が課題です。JCの方々は関心の強い方が集まっておられるのですが、JCに入っておられない市民の方々が、我が事に降りかかってくる問題にも関わらず、一番関心を向けてもらわなければならない年代の方々、層の方々が関心が向いていない、向かさせられていないのが大きな課題だと思っております。

理事長:
 先ほど市長が言われたように、「変え過ぎたのかな」と言われたけど、私たちの団体もそうですけが、変わっていかないと時代は過ぎていくし、人も変わる。様々な事があるので、新しいものも入れて、もし間違っていたら戻したらいいだけですし、変わらなければ何も進まないと思っています。ただ、市民の方が市政に関心がある。私は、少し前にNPOが乱立し、様々な団体ができて、自分たちの要求を主張する時代になったが、主張だけで、実際にどう動くかという事は言っていないように感じます。
 私たちの団体も成熟し、市政の方に最後の部分を言えるような若者にならないといけないと思っています。私たち青年会議所ができる事は、市民の皆さんを成熟した、そういう意見を言ってもらえるような人になるような勉強をみんなと共にできるような事が本当にできたら、地域がもっと良いものになると思います。

市 長:
 今は過渡期で町が成熟化していくための一つのステップ段階を徐々に踏んでいるその過渡期に、私という薮本が市長をさせていただいている。その通過点としてさせていただいてるんだな。と思ってるんですが、何か触媒、媒体的なものの中で、それを本当の意味で、政治が間違った方向ではなくて、本当の意味での民主主義と言うのでしょうか、成熟化した民主主義とはどうあるべきなのか、そういった媒体が、やはりJCさんだとか、どこかNPOさんだとかがすべきだと思います。
 地方創生という形で三木をどういう風に次の世代にバトンタッチしていくか、という事を議論していますが、一番の根幹は、人にありますので、言うことは言う、しかし、みんなで協力して成し遂げていこう、そして嫌ならば、また民主主義のルールで違うリーダーを選ぶ。そういう風な形で自転していくような、そうゆう風な構想に転換していかなければいけない。
 そういう意味では、三木という非常にしがらみの強い。JCさんの皆さんも、だいぶ変わってこられたと思いますが、もし、皆さんが商工会議所のメンバーに入られる前の準備段階としてのJC。そんな位置づけだったら、JCなど必要ないと思います。古い体質の商工会議所、商工会議所の体質が古ければ、その体質に対して毅然と立ち向かって、それをぶっ壊すぐらいの変わりものが出てこない限りこういう古い体質の三木は変わらない。自分の世界で、尺度で物事をメジャーで計って考えているから、外がどんなに嵐が吹き荒れていようと自分たちは守られているのだ。「誰々ちゃん」と呼び合って、慣れ親しんだこの世界がいいのだ。しかし世の中は、急速なスピードで変わっていってしまっている。振り向いたら誰もいない。だけど、三木というこの空間に、三木町というか、三木空間というのは、何か温室のような、守られているというか、これは幻想であり、錯覚であって、もう足元は薄氷を踏む思いなのに、その自分たちの立ち位置に気づかない若者が多い。
 そういう人たちを変えていくのには、外からの視点を持って帰ってきた、やはり三木に生まれた人が欲しいです。何も排他的な議論を申し上げているのではないのですが、一旦三木で育って、外の世界、大海を見てきて、また三木に帰ってきて、「こんなんでは三木に帰ってこない、こんなんしたらどうだ」それに対して支えるメンバーが出てきて支えていく。それが一つの動きとなり、核になり、また違う輪が、違う渦ができていく。それが回っていく中で一つのうねりとなっていく。これは若い世代ができる唯一の特権であるわけですが、その唯一の特権を持っている若者たちが草食化してしまったのか、小粒化してしまっている。
 いつまでも古い体質は悪いとは言いませんが、変えていく事にこそ生き残りがあるというのが、私の政治的哲学であり、人生哲学です。止まった段階でその組織体というのは、もう守りに出る、守りに出る組織こそ、毒素こそ出すけれど、いい要素は出さない。しかし、そういう過激な発想は、今の三木市や議会や、一般の職員には受け入れられない。「変わり者だな」「あの人何かしゃべっている内容が過激だな」と言われる中での10年ですが過ごしてきましたけれども、職員の中にも、そういう意味では、まだまだ保守的な考えの方が多く、まだ浸透できていない中で、試行錯誤しながらもがいているというのが現状です。

理事長:
 私たちも歴史があって、先ほど言われていたように、何かを壊さないといけない時期にきていて、私は青年会議所にいる間に、私たちに何ができるなんて思っていません。その時に様々ことを勉強させていただいた事が、後々何かに繋がっていくと思っています。新しい事を取り入れていかなければならないと思いながら、なかなかできずにきてしまって、皆さんのご期待に添えるような活動ができてないという事。今のお話を聞きながら、自らも反省したりするところもありました。ただ、私たちも私たちのスピードなりに、ちょっとでも何かを打ち破らなければいけない。たとえば先輩にも、今、時代も変わって、使えるお金も変わり、制度も変わり、メンバーも変わりしている中で、以前とはちょっと違う事をしなけらばならない。
 メンバー構成も変わってきています。以前は金物業界の方が多くいましたが、自らが起業したメンバーも多くなってきており、少しずつ考え方も変わってきていますし、新しい考えを入れなければいけないところまではきています。ただ、なかなか皆さんにまで見せられるところまできてないのが現状かもしれません。私たちも過渡期であって、変化しつつあるところで、メンバーがさらに、もう一歩、二歩進んだ時には、もう少し違う形の三木青年会議所をお見せできて、卒業したあかつきには、地域のみなさんとともに、もっと協力できる何かを提案できたり、みなさんと協働できるスタイルを見せていけるかもしれないと考えています。
 ただ、私たちも今の話を聞く中で、確かに守られてる。これは田舎だからというのもあるのか、本当に何か私たちも、なかなかこう挑戦できていません。今やインターネットで、見積もりを取ったりできる時代ではあるけれど、これはこの方から買うような、狎れ合いのような関係があったりしますが、本当にそれがいつまでも続くのかとか、私たちも違う意味でもっと成長しなければいけないとか。私たちが三木をもっと守るために何かしないといけないといった事をもっと前向きに考えていかなければならないと思うし、そのためにも若者である私たちが、もっと成熟し、地域の皆さんに、もっと提案して共に動いて、それを市の皆さんに持っていけるような形を作らなければならないと思いました。
 商工会議所の事も、私たちはちょっと分からないのですが、確かに世襲制的なところがあったり、もっと違う活動ができるという事もあると思います。だから、私たちがこれから先輩と同じように、卒業した後に各種団体に参加した時には、今までのものを受け継ぐだけではなく、より良いもの、新しいもの、私たちが入った意味っていうのを打ち出していけるような活動をできるためにも、この40歳までの間を、皆様のお力を借りながら、フィールドも借りながら勉強していければと本当に思います。
 今、本当に、この三木市も薮本市長の下、いろいろな新しい試みをされているのを見させていただく事は、私たちにとっても本当に刺激的な事だと思っています。

市 長:
 ありがとうございます。

理事長:
 今、たとえば海外の誘致、私企業の話を誘致したりとか、特にミャンマーとの友好都市の事も、取り組んでおられたりとか、私たちにはなかなか見えなかった事が、薮本市長になってから見えてくるような事になって、三木市も今までのままではいけないという思いを、私たちも含めて市民の中にも出てきていると思います。
 先ほどから言われている、文句で終わる事は直さなければいけないと思います。私たちもよくあるのですが、いろいろ文句を言うけど、最初どうだったか、みんなで決めたのだから最後は決めたのだから文句を言っていた人も、最後はやるというのが民主主義だと思います。
 これは個人の意見なんですけど、幼保一体化の事とか、国として決まっている事、市として決まっている事を、いつまでも何か言うたりとか、変えると決めているのに、いつまでも変える、変えようとする事は無駄な気がします。決まるまでは、それはみんなで様々な事を話し合ったらいいと思いますが、決まったからには、乱すのではなく、前に進みたいというのは、大きさは違えど、市政も同じだと思いますし、私たちの団体も同じですし、私たちの会社、企業であっても、決めたからにはみんなで同じ方向に進んで、会社をより良いものにしたいというのは一緒だと思います。

市 長:
 そうですね、官民とか、会社の規模の大小とかを問わず、組織をどう運営していくのか、という事になった時には、それは大きな差というのは、僕はないと思っております。そういった組織を運営していくにあったて、たとえば、商工会、JCの皆さんという組織もそうですけど、やはり、そのトップに立つ方が、どういう考えを持って、その方の熱意、誠意で、周りの支えられる人材を巻き込んで、変える事ができる、動かしていく事とができるのか、それはトップの内から発する、魅力であり、信念が伝わってくるのか、こないのか、これによってだいぶん変わってくると思います。
 いずれにしても、これからの三木のまちを考えていった時に三木市が一番直面しているのは人口の減少だと思っています。人口の減少の中でも、特に若年女性と言われている方々が、なかなか三木市から出ていかれてしまう。当然女性も出ていかれるのですから、男性もそれを追って出ていかれる。その中で、高齢者の方々は三木を去らずにずっとおられる。これはありがたい事なんですが、そうした齢者は孤立化をしてしまいかねない。そして自治体、一つの組織としてもいびつな年齢構成になってくる中で、若い力、そこから生まれる税収、いろんな形での助け合い、支え合いの若い力というものが欠落している。これを何とか食い止めないと、自治体崩壊、自治体消滅ということに繋がる。それをどのように避けていくのかというのが、今の私がやらなければならない事だと思っています。
 これは根っこの構造的な問題ですので、特に三木市がなぜここまでなったのかという事は、やっぱり逆に言えば、40年前には三木市は人口急増都市で、三田市と並んで、全国一、二を争う市でした。三木市は旧吉川町を合わせて、9万人手前で人口増加が止まって、そこからは8万人を切るまでに減ってしまいました。三田市は11万5千ぐらいで止まりかけていますが、一番大きな争点は、逆に急速に進む高齢化に悩んでしまっています。我々は人口減少に悩んでいます。
 様々な自治体が、この人口減少、若い世代の減少にどうやって立ち向かうのかという事で、悩んでいるのですが、やはりそれは、企業と一緒で、三木のまちに若い人を引き付ける魅力が無いのではないかと思うのです。神戸市は施策に関係なく若い人たちが集まってくる。我々三木市は確実に、神戸市の経済圏、通勤圏に入っています。北区や西区、三田市、足を延ばせば西宮市などに引っ越されます。
 そのよう中で、やはり若い人たちが、一番望んでいるというのは、やはり憩いの場であり、遊びの場であり、くつろぎの場であり、息抜きの場であり、そういう施設が三木にはないんですね。映画館であり、あるいは24時間開いているパブであり、居酒屋であり、そうったものがあんまりにも無い。神戸市にあるような、若者の集まるような、男女の出会いの場になるようなところも無い。若者は、「40分で神戸に行けるのであれば、神戸に行った方が良いんじゃないか」神戸市の方も、マンションの値段もアパートの値段も下がってきております。人口が減っているんでありますから、物件の値段も下げざるをえない。そうすれば、「神戸市の方に行ってしまおか」という気持ちになる。
 職員も小野から通っている職員に聞きましたら、一部は神戸市に行かれる方もおりますけど、神戸市というものをあまり意識されないそうです。明石市とか、加古川市とか、そういうところを意識されるそうです。小野市や加東市には工業団地が結構ありますので、そういった事で自己完結されたり、三木市に来ても、神戸市まで行くという文化はないようです。
 三木市は行政権では北播磨ではあるが、神戸圏域に含まれるのではないかと考えています。だからといって、神戸市と真っ向から勝負をして、三木市に若い人たちを留めさせる事ができるのかと言うたら、そんなことは無理です。150万人都市であり、あれだけのインフラなり、様々なアミューズメントが揃ってる。また、神戸駅の方へ行けばハーバーランドがあり、六甲アイランドの方に行けば、様々な施設があり、三木にそれに対抗して若い、結婚されている世代、結婚前の世代は別にして、その世代の方々を引き付けるものって、何かということをこの頃、私は、寝ても覚めても、そればっかり考えてます。
 三木市の職員の20代、30代と私たちの世代との考えには、やっぱりギャップがありますから、若い人らにも考えさせるのですが、これっといった回答、施策は出てきません。
 今、三木市では、魅力のある施策を実施するとともに、私も含め西区、北区の不動産屋さんを回っています。チラシを置いて、三木に来てくださいって。ほんとは、不動産屋さんじゃなくて、そこに来られるお客さんにセールスをして、「来るなら三木市、育てるなら三木市」って回りたいのですが、そこまではできませんので、不動産屋さんにパンフレットを置いて、三木市のコピーやキャッチコピーをやって、いろいろ三木市に来てもらえるように活動しています。
 三木市の職員の方は、自分で家を買った事がない、マンションを買った事がない。だから、家を買うということがどういう事とか分かってらっしゃらない職員がものすごく多い。親御さんの家に住んでいるとか、先祖伝来の家に住んでいる方が多い。我々みたいに神戸市に住んでいた人間は、引っ越しが当たり前で、僕が神戸市に住んでいた時は3回引っ越しました。そのたびに不動産屋さんを回って、様々な交渉して、どういう風な点で決めるか。子育て環境がいいからだとか、医療環境が充実しているからだとかで決めたことは一度もありませんでした。私も家内も決めた理由は一つだけ。値段が安い。やはり分譲価格が安いか、貸家であれば賃料が安いお家、できれば駅が近くて、買うんであれば次に損切れせんと買えるという、そういう物件でした。
 三木市は田舎の割に賃貸料が高い。それからあとは、分譲価格が高い。神戸市に住んでいた人からすれば、新婚世帯が住む家賃は、神戸市で8万円から9万円。10万円までの物件を探します。三木市ならば6万円ぐらいが相場だと思っていました。ですが、三木市で物件探すと、7万5千円が平均です。やはりマーケットの世界ですので、供給物件が少ないだけなのですが、供給量はサプライヤーが少ないので、結局値段が吊り上がってでも、結局売れる。小野市に行けば家賃が5万円台がざらにあります。やはり家賃補助などをしたり、三木市に構造的な構想がたって、それで家賃、それも分譲じゃなくて賃貸でというような供給量を増やすようなまちおこしをやれば、それがだんだん適切な水準に合うような形に落ち着いてくると思います。
 三木市には県内第2位の誇る収容数の医療センターがある。また、幼保一体化による子育て支援のしやすさ、学力向上を図る。そういうとこを踏まえて子育ての良さ。教育の良さというものを、PRして三木市に来てもらおうとしています。
 もう一つは、神戸市のようなアメニティはできないでしょうけれども、アメニティ施設を、三木市のどこかで作るか。高速道路網を活用した中での、大型商業アメニティ施設の誘致という形での、今、自分が一番力を入れているのがそこであるので、そういう中での若い、特に若い女性が残っていただくと、若い女性目当てに、若い男性も残っていただき、三木市を若い世代中心の施策を考えています。そのためには、長期政権もやむをえないと考えます。JCの方も一年で変わられる、理事長が変わられるというのは、これは組織としては良くないです。やはり、JCを変えていこうとするならば、理事長任期を少なくとも複数年にして、再選も可とかね。そういう形にしていかないと、40歳までしかない中で、一年の任期で仕事が何ができるかというと、そんなんスーパーマンでもできません。アメリカの大統領でも8年任期です。
 正直言ってJCの市民に対する認知度は、僕は0だと思っています。申し訳ございません。きついこと言いますけども、私のいる志染とか、新興住宅地、吉川に行って、JCという言葉を知っている方は誰もいないでしょう。JCが通用するのは、旧の三木町ぐらいじゃないですか。今は違いますが、僕はJCは恵まれた方々の集まりで、温室育ちのお嬢ちゃん、お坊ちゃんが、何らかの政策提言というように、言葉では言いながら、遊んではるだけの集団だと思っていました。だけど、市民の方々は、それすら分からない。つまりは僕が市長選を戦った時に思ったのは、JCとか商工会議所とか、そういう人たちが三木市のコアなんだ、核なんだという思いの方が、一部にいらっしゃいましたけど、それは大きな錯覚です。三木市というのは、新興住宅地も半分ある、吉川町も8分の1の力がある、農村部がある。そこに旧の市街地が一部あるだけであって、そこだけを自分たちのまちづくりだと思ってやられると、大きく足元をすくわれてしまう。それは大きな勘違いですので、サラリーマンの方の会員が増えたり、農業の方が増えたり、すそ野を広くするような形で組織の拡大をしていただければと思います。やはり旧の三木市の市街地の、旧の三木町だけで三木市を動かしていくんだ。という錯覚は妄想にしかすぎないですから。

理事長:
 以前の青年会議所は人数も多く、いろいろなところで、何か成熟してる感があったりして活動していたと思うのですが、以前の先輩たちは、三木青年会議所って言うけど、私たちも力がないのが分かってきているからこそ、今は本当に勉強しなければならない時になっているというのは、自覚しています。
 今言われた事聞いて、悔しい気持ちもあって、言い返したい気持ちもあるけど、本当に私たち自身も振り返ると、守られた中で、確かに周りの人になかなか発信力もなく、夢は語るけど、その最後をどうするというところまでは、なかなかできないという団体であるというところに苛立ちを感じています。ここ数年は、三木青年会議所と言うだけで何でも通っていた時代が、たぶん昔の先輩方の時はあったんやと思うのです。でも今本当に私たちが、自ら働きかけていかないと、話を聞いてもらえないし、以前みたいに、このJCの名刺があったら何でもできた。ではなく、地域の方々のニーズも訊く事でまちづくりはできるし、私たちが何を学ばなければならない。と真摯な気持ちで、様々な事を見て、判断する事で前に進むことが必要だというのは、私たち自身感じてるところなんです。しかし、皆さんには、なかなかそこまでご理解いただけてないところはあると思うし、本年度1年だけでも、すぐには変われる事ではないのですが、確実にここ数年で変わると私は信じていますし、私は変わるように今年も頑張ってきたので、そうなるように期待もいただきたい。

市 長:
 そうですね。

理事長:
 先ほどの人口減少の話なのですが、私は興味深いなと思いました。確かに今まで、私も守られているように見えてはるかも分かりませんけど、私も三木市を10年ほど離れて、一人で住んでいたことがあり、引っ越しも3回しているのですが、確かにその時、家賃の問題はありました。
 教育や医療費も必要ですが、確かに家賃の課題は大きいと思います。また、私も今ミキハートの部会長をさせていただいて、結婚もしてないにもかかわらずですけど。うちのメンバーからも、もう一人女の子が出向しているのですが、やはり少しでも多くの方々に結婚してもらい、三木市に留まっていただくという事があればいいなと思って私たちも活動しています。
 先ほど、に何かアメニティっを誘致しようという事ですが、具体的に何か考えられおられるのですか。私は三木市は素晴らしいと思っています。でも、新しい人を引き入れないと市民が増え、市民の数が増えないのか。もともと市にいた人が出ていって、また戻ってくるところを狙うのかって、私はそれでもいいのではないかと思う気持ちがあります。三木市は恵まれた場所だと思います。高速道路、主要な幹線が走り、兵庫県でいうと、ほぼ真ん中にあって、どこからでも来やすいと思います。工業団地もあり、大きな病院もあり素晴らしいし、あんまり大きな災害に遭う事なく、気候も温暖である事を考えると、ほんとに住みやすい場所です。
 私も1回三木市を離れ帰ってきて、夏になって三木音頭聞いたり、秋になって太鼓の音聞いたりすると、ワクワクするような気持というか、湧き上がる郷土愛というものを感じました。そういう気持ちを今一度呼び起こす何かが本当にあれば、外に出ていた人が戻ってくるのではないかと思います。自分たちの三木市が、ほんとになくなるという事を、もっと自覚すると、やっぱりなくなるのは悔しいし、寂しいし、自分たちのルーツなので、私はいつまでもこの三木市があって欲しいし、50年後も100年後も150年後もずっとあって欲しいと思います。この三木市が廃れていくのではなく、やはりいつまでも輝いていて欲しい。それには本当に今すでにある、人の中に眠っている何かを呼び起こすだけでも、みんな三木市のこと悪くは言わないじゃないですか。お祭りの時になったら屋台を担ぎ、鬼追いやえべっさんやと、お餅拾いに行ったりとか、すごく楽しそうにしている市民がいるから、何かちょっと形を変えたら戻ってきて、「三木っていいね。」って思えるような若い人たちがもっと出てきたら、1回出ていって戻ってきた時には、市外から女の子連れて帰ってきたり、旦那さん連れて帰ってきたりすると私は思います。

市 長:
 私も理事長と同じ意見で、一番いいのは、純血主義にこだわるわけじゃないですけれども、三木市に縁もゆかりもない方。たとえばかつての自由が丘、緑が丘、青山を切り拓いていった。そういう風な人口の増え方もあっていいと思いますし、やはりその第二世代、あるいは旧の三木町や、私の住んでいる志染のような田舎の農村部の方も、三木市が好きで、生まれて育ったとこは好きですから、やっぱり遠くに住んでいた時も、神戸に住んでいた時も、やはり常に三木市を思っていました。だから、市長という形で、戻って気たんだと思います。
 やっぱり好きなんです。三木市という何か不思議な魅力というものはありますので、それに訴えかけるような呼びかけあるは、それを小さい時から育成していくような環境づくりも必要だと思います。ただ、人は霞を食って生きる事はできませんので、三木が自分の故郷で、危急存亡の危機だからといって、「いざ鎌倉」という形で駆けつけて帰っても、働くところがないのであれば、生計を立てている場所からは離れられない。アメニティだけではなくて、やはり、そこに労働集約的な働く場というものを新たに設けていく事ができないのかと考えています。やはり働く場がないと安心して帰ってこられない。そういうセーフティーネットとしての働く場と、帰ってきたいと思う心を幼い時から植え付けるような郷土愛教育とが相まって進めていかなければならない。これは私の、それこそドリーム、夢みたいな事なのです。
 それと、「あれと言えば三木」というようなものがあると、それは情報発信力も持ちますし、誘客力も持ってきますし、そしてまた、私が思てるのは、北播磨の各市が、東南アジアとか外国にあまり目を向けてない先に、外国との繋がりも持ち、観光客だけではなく、介護とか建築業といったと職業に就いてもらったり、そういった技術を学んで帰ってもらってはどうかと考えています。
 やはり三木市に目玉のようなものを打ち出せないのかと考えています。そのためには、市長は長くやらなければいけない。地方創生には、市長は1期や2期や3期でころころ代わっているような時代の市は負け組になる。つまり政治力がこれからは要ってくる。そのためには、市長が長期政権でいくような市長が出た市が生き残る。会社も同じです。何もぬるま湯の長期政権は良くない。緊張感の上での長期政権。それはトップの精神なり肉体なりを蝕むかもしれないけれど、市民のためにそれを犠牲にしてもやるトップが要る。自分の体を、昔の明治維新の時の政治家のような、自分の体は、あるいは命をも張ってでもやるような政治家。そういうものが現れてくるか、こないかによって、この三木市は大きく変わってくると思うし、何度も言いますように一人ではできない。それを支える市民がいる。支える職員がいる。それを今ぶっ潰してしまうのか、どうなのかによって、三木市の今後は大きく変わってくると思いますし、自分自身が、そのトップとして相応しいのかどうかというのは、自分自身に問いかける日々です。そういう危機感をトップだけが持っていても仕方がないので、それをどのように組織全体に行き渡らせていき、危機感を持ちつつポジティブ前向いてどうやっていくのか。議論はする中で、決まったら協力していくという市民性。文句ばかり言うのではなくて、「自分たちならここまできますが、どう協力していったらよろしいでしょうか」というような積極的な市民性。そういう風に変わるか、変わらないか。それによって三木のまちは消滅するか、しないかは決まると思うのです。JCの方々19人は数少ないようですけども凝縮された集団であれば、すごい力が発揮できると思います。

理事長:
 はい。

市 長:
 僕はJCは三木市を、特に若い集団を変えていく一つの渦に、台風の目のようになっていただく可能性があると思いますし、なれるのは三木市は、三木JCしかないというのが、僕の思いです。

理事長:
 ありがとうございます。

市 長:
 歴代のJCの理事長と話す中でJCに対する誤解が解けていく中で、JCしかないと思っています。ほかの団体では無理だと思います。その19人の侍が、どのように本当に活躍されていき、我々行政を使っていただきたいと思います。一緒になって、我々も20代30代の職員と、年代層一緒の職員と一緒になって市長や理事らが、上が政策を考えて、自分はこう動くだけだという職員では困りますから、そういう意味では、違う異色業種の方々と交流していく中で、無風の職員風土を、やはり刺激ある職員風土に変えていきたいと思っています。そういった場を今後、三木JCと持てたらと思います。

理事長:
 ありがとうございます。本当に今日は長い時間いろいろなご意見をいただいて、私たち持ち合わせないような価値観であるとか、ともすれば厳しいご意見いただきましたが、期待の裏腹でということで、今後の活動の糧にしたいと思います。

市 長:
 期待していますよ。

理事長:
 薮本市長の言葉の中に、「リスクのない進化はない。」というのがありましたが、、私たちも様々なリスクを孕んでいますが、何か捨てたり、何かがあるけどそれでも変わらなければならないという気概がないと、次に進めないし、そういう事をもっと頑張っていかなければならないと思いました。今日、市長との対談の中で、人口減少対策であるとか、市民が成熟する。積極的な市民性というものを持ち合わせてもらえる事に繋がるような事業展開であるとか、勉強会であるとかを実施していければと思うので、これは持ち帰らせていただいて協議したい内容だと思いました。
 また、先ほどいただいた、市役所の若いメンバーとの交流については、そういう機会があればぜひお願いしたいと思います。

市 長:
 そういう機会は必要だと思います。

理事長:
 薮本市長には、日々大変気苦労が多く、お体のことには気が回らないところがあるかもしれませんが、お体が大事ですので体調には気を使っていただきたいと思います。

市 長:
 ご丁寧なお言葉ありがとうございます。

理事長:
 私たち様々なところで協力させていただき、胸貸していただくようなつもりで関わりを持たせていただければと思います。本年度も残り三か月、来年は次の組織が動き出しますので、また様々なご相談をさせていただく事もあるかと思いますが、引き続きのご協力をよろしくお願い致します。

市 長:
 よろしくお願いします。今日は、硬い場でありましたけれど、次回は柔らかい場で話す機会があればいいですね。

理事長:
 ぜひ。よろしくお願い致します。

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対談参加メンバー